2012-05-30
2012-05-29
TOEIC講評比べ
両巨頭が同じマイナーフォームだったようで講評を見比べて見ました。
Part6とPart7の評価が逆転していますね。
花田塾長: http://ameblo.jp/hanadatoeic/entry-11261939788.html
僕はフォーム11(マイナーフォーム)を受験したのですが、直近1年で
行われた他の回と比べてどう感じたかを軽く書いてみます。
<講評>
Part1: 易しめ
Part2: やや易しめ
Part3: 通常レベル
Part4: やや難しめ
Part5: やや易しめ
Part6: 通常レベル
Part7: やや難しめ
TEX加藤: http://texkatotoeic422.blog33.fc2.com/blog-entry-965.html
受験された皆さん、お疲れ様でした。私は4IIC11のマイナーフォームでした。
以下、パート別の個人的な感想です。
パート1:やや易(ここ最近の中では最も易しかったと思います。難語も登場しませんでした)
パート2:普通(ひねった応答が序盤から出てきましたが、標準レベルではないかと思います)
パート3:普通(標準レベルだったと思います)
パート4:やや難(ちょっと状況のつかみづらい長めのトークや放送がいくつかありました)
パート5:易(難解な語彙や複雑な文法問題はありませんでした)
パート6:やや難(文脈で解く語彙問題や時制問題がいくつかありました)
パート7:普通(DPは易しめでしたが、その前のSPの後半はやや難度が高かったと思います)
Part6とPart7の評価が逆転していますね。
花田塾長: http://ameblo.jp/hanadatoeic/entry-11261939788.html
僕はフォーム11(マイナーフォーム)を受験したのですが、直近1年で
行われた他の回と比べてどう感じたかを軽く書いてみます。
<講評>
Part1: 易しめ
Part2: やや易しめ
Part3: 通常レベル
Part4: やや難しめ
Part5: やや易しめ
Part6: 通常レベル
Part7: やや難しめ
TEX加藤: http://texkatotoeic422.blog33.fc2.com/blog-entry-965.html
受験された皆さん、お疲れ様でした。私は4IIC11のマイナーフォームでした。
以下、パート別の個人的な感想です。
パート1:やや易(ここ最近の中では最も易しかったと思います。難語も登場しませんでした)
パート2:普通(ひねった応答が序盤から出てきましたが、標準レベルではないかと思います)
パート3:普通(標準レベルだったと思います)
パート4:やや難(ちょっと状況のつかみづらい長めのトークや放送がいくつかありました)
パート5:易(難解な語彙や複雑な文法問題はありませんでした)
パート6:やや難(文脈で解く語彙問題や時制問題がいくつかありました)
パート7:普通(DPは易しめでしたが、その前のSPの後半はやや難度が高かったと思います)
2012-05-28
外国語教育に関わる人が言語学や心理学で得られた知見に関心を持つこと
大津研ブログより
http://oyukio.blogspot.jp/2012/05/blog-post_27.html
1 チョムスキーは、外国語教育に関わる人が言語学や心理学で得られた知見に関心を持つことはよいことだが、外国語教育のような実践的行為に対し、言語学や心理学が直接貢献できる部分は少ないと思うという趣旨のことを以前から繰り返しています。わたくしもこの考えに賛成です。
2 言語学や心理学に代表される認知科学は理論構築、および、事実と論理による検証を繰り返しながら発展していくものですが、そのもとにあるのは、その行為によって、少しでも真実に近づいていきたいと願う夢です。夢は夢ですので、きょうの夢とあすの夢は違うかもしれません。そこで語られていることをそのまま英語教育の実践に役立てようというのは危険です。
3 科学には理想化がつきものです。しかし、教育実践においては、情報処理要因、個人差を含む教師要因と生徒要因、教室などの外的要因など、多くの場合、科学で捨象される要因こそが重要な意味を持ってきます。
4 したがって、認知科学としての第二言語獲得研究で得られた知見を直接、英語教育に活かそうとするのは危険であるという認識が実践者の側に求められます。
5 とはいえ、もうひとつ大切なのは、「外国語教育に関わる人が言語学や心理学で得られた知見に関心を持つこと」自体は重要なことで、問題はそうした知見に縛られ過ぎてはいけないということです。たとえば、英語教育を実践する先生がたには、文は単に単語が一列に連結された列車のようなものではなく、その背後に、単語のまとまりとその重なりという見えない世界が広がっているとか、言語理解の過程では言語知識だけでなく、ありとあらゆる情報を駆使した処理が脳の中で行われている(たとえば、「時計をお持ちですか」という発話も、道で声をかけられたときに発せられた場合と運動会の借り物競争の選手から発せられた場合とでは意味がまったく違う)とか、というようなことはぜひ心得ておいてほしいと思います。
6 5を実現させるためには、教育の実践に携わる方々に、科学研究の成果をわかりやすく解説する仕事が重要な意味を持ってきます。近年、そういう趣旨のワークショップや書物が少しずつ目につくようになってきましたが、教育実践者にとってはまだまだ敷居が高い。この状況を打破するためには、研究者のためのワークショップも必要だと考えています。
5と6についてシンポジウムでは意を尽くせなかったので、ここで補足した次第です。
http://oyukio.blogspot.jp/2012/05/blog-post_27.html
1 チョムスキーは、外国語教育に関わる人が言語学や心理学で得られた知見に関心を持つことはよいことだが、外国語教育のような実践的行為に対し、言語学や心理学が直接貢献できる部分は少ないと思うという趣旨のことを以前から繰り返しています。わたくしもこの考えに賛成です。
2 言語学や心理学に代表される認知科学は理論構築、および、事実と論理による検証を繰り返しながら発展していくものですが、そのもとにあるのは、その行為によって、少しでも真実に近づいていきたいと願う夢です。夢は夢ですので、きょうの夢とあすの夢は違うかもしれません。そこで語られていることをそのまま英語教育の実践に役立てようというのは危険です。
3 科学には理想化がつきものです。しかし、教育実践においては、情報処理要因、個人差を含む教師要因と生徒要因、教室などの外的要因など、多くの場合、科学で捨象される要因こそが重要な意味を持ってきます。
4 したがって、認知科学としての第二言語獲得研究で得られた知見を直接、英語教育に活かそうとするのは危険であるという認識が実践者の側に求められます。
5 とはいえ、もうひとつ大切なのは、「外国語教育に関わる人が言語学や心理学で得られた知見に関心を持つこと」自体は重要なことで、問題はそうした知見に縛られ過ぎてはいけないということです。たとえば、英語教育を実践する先生がたには、文は単に単語が一列に連結された列車のようなものではなく、その背後に、単語のまとまりとその重なりという見えない世界が広がっているとか、言語理解の過程では言語知識だけでなく、ありとあらゆる情報を駆使した処理が脳の中で行われている(たとえば、「時計をお持ちですか」という発話も、道で声をかけられたときに発せられた場合と運動会の借り物競争の選手から発せられた場合とでは意味がまったく違う)とか、というようなことはぜひ心得ておいてほしいと思います。
6 5を実現させるためには、教育の実践に携わる方々に、科学研究の成果をわかりやすく解説する仕事が重要な意味を持ってきます。近年、そういう趣旨のワークショップや書物が少しずつ目につくようになってきましたが、教育実践者にとってはまだまだ敷居が高い。この状況を打破するためには、研究者のためのワークショップも必要だと考えています。
5と6についてシンポジウムでは意を尽くせなかったので、ここで補足した次第です。
2012-05-27
TOEIC当日持ち物チェックリスト
2012-05-19
2012-05-06
茂木健一郎:組織は、邪魔をするな!
連続ツイート、第584回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、このところ考えていたこと。
posted at 06:13:18
posted at 06:13:18
そじ(1)アメリカの大学の、オープンコースウェアは、便利である。よく、かけながら仕事をしている。先日も、MITのをかけながら作業をしていて、突然、おや。まてよ、何かがおかしいぞ、とおもった。それで、いろいろなことを考えはじめてまった。
posted at 06:17:39
posted at 06:17:39
そじ(2)なにがおかしいぞ、とおもったかと言えば、そのMITの授業が、つまらない、と言うか、ごく普通だったからである。自分が大学時代に、受けた授業とくらべても、別にたいしたことないし、ぼくの友人の、池上高志の熱力学の授業にもぐりこんだことあるけど、あっちのほうが、面白かった。
posted at 06:21:15
posted at 06:21:15
そじ(3)アメリカには、リチャード ファインマンという、驚くべき授業の達人がいて、ついつい、みんなファインマンみたいな授業をしているんじゃないかと思ってしまうけど、実際には、そんなことはない。MITと言えども、普通の教授はむしろ凡庸で、授業も、つまらん。あたりまえのことだよね。
posted at 06:24:48
posted at 06:24:48
そじ(4)それで、ぼくはいろいろ考えはじめてしまった。ぼくは、東京大学の悪口をいろいろ言っているけど、日本の大学が悪くなってほしいと思っているわけではない。ひとりひとりの能力を見ると、別に、MITも、東大も変わらないように思う。では、なぜ、組織全体としてみると、差がつくのか。
posted at 06:28:06
posted at 06:28:06
そじ(5)思うに、日本の組織は、個人の邪魔をするんだと思う。池上高志が先日ツイートしていたけれとも、やたらと報告書を書かせたり、会議があったりする。そういう時間が、大学の先生たちが、自由にものを考えたり、まとめたりする時間を、奪ってしまっているのだ。
posted at 06:31:36
posted at 06:31:36
そじ(6)アインシュタインなんかを見ていると、その独創性が育まれた条件は、要するに放っておかれた、ということに尽きるということがわかる。特許局の仕事は、器用だからすぐ終えて、あとは物理の計算とかをしていたらしい。放っておかれた時間に比例して、独創性は花を咲かせる。
posted at 06:35:15
posted at 06:35:15
そじ(7)湯川秀樹さん、朝永振一郎さんの生誕100年のシンポジウムで京都大学に行ったとき、面白いことがあった。当時の京大の学長さんが、京大が湯川さん、朝永さんにしてあげたことは、たったひとつ、放っておいて、邪魔をしなかったことですと。ぼくは、京大はすばらしいと思った。
posted at 06:39:03
posted at 06:39:03
そじ(8)大学の事務の人とか、文部科学省の人が、ついつい、余計な気を使ったり、心配して、先生たちに干渉したり、書類を書かせたりしたくなる気持ちは、わかる。事務屋、役人の本能のようなものでしょう。しかし、そこをぐっとこらえて、できれば邪魔をしないでほしい。
posted at 06:41:52
posted at 06:41:52
そじ(9)時間があるかたは、MITの、オープンコースウェアを一度見てみることをおすすめする。一人ひとりの先生の能力はさほど変わらないのに、なぜ、組織全体としては、大きな差がついてしまうのか。日本の組織は、きっと、至る所で個人の邪魔をしている。大学だけのことではない。
posted at 06:44:52
posted at 06:44:52
以上、連続ツイート第584回、組織は、邪魔をするな! でした。
posted at 06:45:55
posted at 06:45:55
授業に、専念できるようにしてほしいですよね! RT @hildahippo: @kenichiromogi 小学校中学校の教師も同じです。特に中学校教師。書類仕事に追われ、子供一人一人を見る時間が足りない。まるで事務屋さん。
posted at 06:49:19
posted at 06:49:19
2012-05-03
三羽チャンネルWeekly
動画
|
再生回数
| ||
1.
| 日本人が知ってはならない歴史 |
826
| |
2.
| 英語喉紹介動画 |
76
| |
3.
| Lと Rの出し方【英語発音】 |
65
| |
4.
| 英語耳VS英語喉【英語発音】 |
41
| |
5.
| 同時通訳トレーニング |
37
| |
6.
| 江見屋かけつぎ専門店 |
33
| |
7.
| 日本語を英語喉で喋ってるネイティブの先生を発見 |
32
| |
8.
| レッスン01 声を出す |
27
| |
9.
| あいまい音は死んだ |
24
| |
10.
| LとRの違いは、喉から来る立体的な音の音色の違い【英語発音】 |
23
|
茂木健一郎:「判断には専門知識は必須ではなく、専門家がよい判断をできるのでもない」
連続ツイート第579回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日、ニコニコ超会議の会場で感じたことについて!
posted at 07:30:59
はせ(1)ニコニコ超会議の「メディアの危機」のパネル・ディスカッションをしていたとき、池田信夫さんが専門知識の話をしていた。それでぼくは思ったことがあった。専門知識があれば、判断できるわけではないし、判断をするために、必ずしも専門知識が必要なのでもない。
posted at 07:32:05
はせ(2)専門知識は、必ず、ある文脈の中で成り立っている。だから、蛸壺化もする。ところが、判断というものは、文脈を超えた、生の現場全体の状況を反映したものでなければならない。だから、原発の問題にしても、専門家だから正しい判断ができるわけではない。むしろ専門家に任せるのはよくない。
posted at 07:33:32
はせ(3)原発をこれからどうするか、という問題は、だから、広く国民的議論をして、その中で、最終的には国民の負託を受けた政治家が判断しなければならない。その判断には、私も従う。その際、判断の質は、専門知識だけでは決して担保されない、ということを知っておく必要があると思う。
posted at 07:35:05
はせ(4)これは、悲劇的な結末をもたらしたプロジェクトではあるが、国家、いや文明の命運がかかったプロジェクトでもあった。ナチスが原爆を開発する可能性が恐れられる中、アメリカはマンハッタン・プロジェクトでウランを濃縮し、原爆をつくった。そこに、天才物理学者のファインマンもいた。
posted at 07:36:19
はせ(5)何しろ、史上初めてウランを濃縮するのだから、やり方がわからない。一方で、事態は緊迫している。そんな中、ファインマンをはじめとする科学者、技術者たちは昼夜をとわず奮闘していたが、そんな中で一つの問題が生じていた。
posted at 07:37:37
はせ(6)ウランを濃縮しているということは重大な機密だから、何を濃縮しているのか知らされないまま、技術者たちは仕事をしていた。それが、開発上の障害になっていると認識したファインマンは、責任者の将軍に、「技術者にウランを濃縮していると伝えていいか」と交渉に行く。
posted at 07:38:53
はせ(7)それは、難しい決断だった。何を濃縮しているのかわからなければ、技術者たちはよい仕事ができない。一方、何を濃縮しているのか、多くの人間が知ることは、それだけ漏洩の危険性に通じる。ナチスの脅威がリアルで、どちらが勝かわからなかった時期のことである。
posted at 07:40:11
はせ(8)ファインマンは証言している。将軍は、「ちょっと待ってくれ」と言って、一人で窓のところに行って、しばらく外を眺めていた。やがて、振り返ると、「技術者たちに、ウランを濃縮していることを伝えてくれ」と言った。マンハッタンプロジェクトを左右する、重大な決断だった。
posted at 07:41:25
はせ(9)原爆開発は、悲劇をもたらした。一方、このエピソードは、判断というものが必ずしも専門知識を必要とするものでも、専門家がよい判断ができるわけでもないことを示している。ファインマンは、将軍というのは判断をする訓練を受けている人だと、感動する。生死のぎりぎりの現場において。
posted at 07:43:27
以上、連続ツイート第579回「判断には専門知識は必須ではなく、専門家がよい判断をできるのでもない」でした。
posted at 07:44:43
茂木健一郎:「その人を好きになるのに、肩書きはいらないよね」
連続ツイート第581回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、先日、移動しながら話していて、ほんとうにそうやなあ、と思ったこと。
posted at 06:59:54
そか(1)この前、ニコニコ超会議からの帰りに、弟子の植田工(@onototo)と話していた。そうしたら、夏野剛さん(@tnatsu)の話になって、「オレ、夏野さんがどういうことをしてきた人か、今何をしているのか、よくわかっていないんだよね」と言ったら、植田に受けていた。
posted at 07:02:27
そか(2)「えっ、そうなんですか? あんなにやりとりしているのに、夏野さんのことわかっていないんですか?」「うん。肩書きとか、経歴とか、よくわかっていない。さっきのシンポジウムでも、あっ、そうか、この人、ニコニコにかかわっているんだ、とびっくりしたもん。」
posted at 07:03:21
そか(3)話のポイントはこうである。ぼくは、夏野剛さんとどこかのシンポジウムか何かでお会いして、その話しぶりを聞いて、一発で、この人はすばらしい人だと思った。それで、さまざまな場所で再会したり、ツイッター上でやりとりする時に、無限の好意を抱いてきた。夏野さんイイネ、って感じで。
posted at 07:05:09
そか(4)夏野剛さんが「イイ!」と思うのに、その肩書きとか、かかわっている組織とか、出身大学とか、一切知る必要はなかった。そういえば、いわゆる「名刺交換」みたいなものも、しなかったんじゃないかな。ぼくは名詞を切らしていることが多いから、そもそも交換にならないのだけれども。
posted at 07:06:31
そか(5)ある人に向き合う時に、その人の表情とか、お話になることとか、その内容とか、リズムとか、そういうもので判断する、というのはもう私の癖のようなものになっていて、最近はますますその傾向が純化している。ところが、世間を見ると、どうもそうではないらしい。
posted at 07:07:36
そか(6)初対面のときに、まずは名刺を渡さないと、なんとなく収まりがつかないように思っている。相手の肩書きとか、組織とかがわからないと、どのように話していいのかわからないと思っているのだろう。でもね、肩書きとか組織とかで人を見ると、かえってその人そのものが見えなくなるんだよね。
posted at 07:15:22
そか(7)日本社会が、肩書きや組織こそをその人の重要な属性だと思っていることは、いわゆる「責任」の取り方にも表れている。辞任することが背金の取り方だと思っているということは、その人にとって、肩書きが最大の資産だと思っているということ。でも、岡本太郎は辞任できないよね。
posted at 07:16:42
そか(8)結局、肩書きとか組織がもっとも価値のあるものだと思っていると、他人を見るときにもそのフィルターで見てしまうから、ほんとうのその人の姿が見えない。フェアじゃないし、もったいないよね。だから、ぼくは、できるだけはだかの気持ちで、誰かに向き合いたいと思っています。
posted at 07:17:39
そか(9)夏野剛さん(@tnatsu)の話に戻るけれども、ぼくは、夏のさんがどんなことをやってきた人か、今どこにいる人か、依然としてよくわかっていないのだけれども、とにかくいい人だと思う。はだかの眼で人に向き合うことが、流動化する現代においては、最高の出会いの方法論だと思います。
posted at 07:19:20
以上、連続ツイート第581回、「その人を好きになるのに、肩書きはいらないよね」でした。
posted at 07:19:44
英語と日本語の不思議な共通点
"いけてるメンズたち" このおかしな表現、"ズたち"が不必要なことを、教えるのではなく、生徒たち自ら気づいて欲しいな〜。
posted at 23:05:34
@Sanemaro さんのこのツイートで思い出したことがある。child の複数形が children なことについて、日大の夏期スクーリングで新井洋先生の英文法の講座で聞いた話です。今では複数形を作るには最後にs を付けるが、昔は r を付けるものも普通にありchildは、そういう名詞の一つだった。Old English では、childru と綴ったようです。これで複数形だったのですが、なぜかその後また別の複数を表すen が付いて現在のchildren になった。英語はおかしな言語だなと思うなかれ、日本語だって子の複数が「子ども」だったはずなのに今では「子どもたち」という。英語と日本語の不思議な共通点ですね、と新井先生は言われたのでした。
参照
ところで、あ~るさんがツイッターでよく英語系の大学院で勉強している人がTOEIC で990点満点が取れないのはおかしい!というようなことを言われていますが、大学では例えば以下のようなことを学問しているわけで、TOEIC の点数向上に役立つことは1mmもしていないので、やはりTOEICにはTOEIC用に時間を割かないとスコアは上がらないんじゃないでしょうか。
大学の英語英文学科のゼミの一つ
Bloomburg BusinessWeek 特典
日経BPから Bloomburg BusinessWeek の定期購読特典が送られてきました。容量4GBのUSBメモリーでした。今年1月から毎週やってきますが、はっきり言って読むのがきつい。
@ayay515 さんが主宰している Quick Write Forum に記事のサマリーを投稿してください、と年末学習者会議(忘年会)のときに提案されて今のところ2件だけしか投稿できていないヘタレです。
http://jbbs.livedoor.jp/study/11343/
「ただ読むのと、アウトプットを意識して読むのとでは全然違いますから。英語の力が付きますよ!」というありがたいご提案だったので、1ホスト/週を目指してがんばります。
チーム三羽のみなさんにもぜひ書き込んで欲しいということでしたので、よろしくお願いします。
@ayay515 さんが主宰している Quick Write Forum に記事のサマリーを投稿してください、と年末学習者会議(忘年会)のときに提案されて今のところ2件だけしか投稿できていないヘタレです。
http://jbbs.livedoor.jp/study/11343/
「ただ読むのと、アウトプットを意識して読むのとでは全然違いますから。英語の力が付きますよ!」というありがたいご提案だったので、1ホスト/週を目指してがんばります。
チーム三羽のみなさんにもぜひ書き込んで欲しいということでしたので、よろしくお願いします。
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