長年上智大学で英語を教えてこられた渡部昇一先生が久々に英語について語った(おそらく口述筆記であろう)著作。
英語教育を議論する前に、英語には2つの顔があることを理解せねばならないと説く。
「ひとつは、現代社会にあって公用語の働きをなしていること。もうふとつは、重大な古典的著作をふくむ言語であるとおいこと。」
「公用語としての英語は、通じなければいけない、逆にいえば、通じさえすればいい。これを極端にしたのが、いわゆる「ピジン・イングリッシュ」である。
古典語としての英語は、ベーコン、ロック、シェイクスピア、チョーサー等、じつに豊饒な古典的著作を収めた”宝庫”としての英語である。
ピジン・イングリッシュ的な英語をマスターするためであれば、ネイティブの先生について学ぶべきです。しゃべれるようになれば、そこで終わり。
ところが古典的著作の宝庫としての英語の世界ではそんなことは許されません。内容中心に正確に英文を読み込み、ロックならロック、ヒュームならヒュームの思想の核心を捉えなければなりません。そうして知的興奮の世界にゆったりと浸かるのです。」
英語教育を語る人は、どっちを目指しているのかを意識しないと議論がかみあわない。
以前にも、渡部先生の英語教育論について書いていたのでリンクを貼っておきます。
英語教育改善案
http://ahalfyear.blogspot.jp/2011/11/blog-post_14.html渡部先生は、文法をみっちりやって訳読、英作文をすべきだという立場である。それに対して批判的な人は「公用語」(国際語)としてのしゃべる英語を志向されているのでしょう。大西先生などは名古屋の講演で、渡部先生のことを「諸悪の根源」とまで言っていた。講演後の「お楽しみ会」の最後らへんでそれについて触れると「よし、今度そのことについて議論しよう」ということになっていたりいなかったりしています。カズさんも上のリンク先のコメントで「で、英語喋れるのかな、、、?」と書いてくださっているので明らかに話す英語のことを言っています。
話がそれましたが、読みやすい本になっていますのでぜひ一読をお勧めしたい。
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