以上、日本人の英語についての連続ツイートでした。
posted at 08:43:17
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英能(9)もっとも、英語圏に行くのが解決だとは思えない。日本の求心力が高まらない。本当は、英語で発信し、英語のピッチに立っている人たちがある程度の数、量いるといいのだけれど。東京を直接性の原理に基づく文化中心にすることを夢見て、今日もささやかな努力をする。
posted at 08:42:49
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英能(8)オーストラリア大使館でのスピーチ( http://t.co/VVNLyO4 )でも言ったように、輸入学問でやってきた日本の教育機関に、英語のピッチに立つノウハウを伝授することは期待できない。自分の努力で、英語でのパスのやり取りを続けていくしかないのだ。
posted at 08:40:47
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英能(7)結局、日本人の英語は、ボールというのはこう蹴るんだ、ポジション取りはこうするんだ、などと理屈ばかりやっていて、一向にピッチの上に立たないサッカー選手のようなものだろう。早くピッチの上に立って、走り始めればいいのに。
posted at 08:38:32
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英能(6)日本全体を見ると、相変わらずの「輸入文化」の国で、英語で直接やりとりするという活動時間が圧倒的に少ない。TOEICなどの検定試験は、かえって日本人の英語を矮小化する。そのスコア以外に評価の基準を持たない企業は、結局普段から英語を使いこなしていない。
posted at 08:37:25
posted at 08:37:25
英能(5)その人が英語で発信しているツイッター、ブログや、英語で喋っているyoutubeなどの動画、これまで読んできた英語の本、英語の話者と喋ってきた経験知などのプロフィールに基づいて英語能力を評価する。紙試験よりも、むしろ正確に把握できるのではないか。
posted at 08:36:08
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英能(4)先日、オーストラリア大使館で日本の若者の国際化について議論していた時に、英語の能力の評価はどうすれば良いのだろう、と思った。TOEICのような試験では足りない。それで、活動ベースの評価、というものを思いついた。
posted at 08:34:01
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英能(3)しかし、今や「直接性の原理」が支配する。ネットの普及によって、大量の英語情報が世界を駆けめぐる。その中で、英語を受け止め英語で発信する、直接的な能力が必要となる。いわゆる「試験」では、その能力を評価することはできない。
posted at 08:32:56
posted at 08:32:56
英能(2)かつて、日本において求められている英語の能力は、「翻訳能力」だった。明治以来学問を輸入して、「和製漢語」を作った先人たちの創造性。京都大学の入試は、未だに英文和訳中心。大学は「文明の配電盤」だった。
posted at 08:31:58
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英能(1)英語の試験にTOEICというのがある。何回も受験して満点の990点を取っているという猛者もいる。ところが、TOEICで高い点数をとっているからといって、必ずしもコミュニケーション能力が高いとは限らない。実際、使いものにならないという現場の証言をたくさん聞く。
posted at 08:30:49
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しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!
posted at 07:33:27
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