以上、英語の「ネイティブ」であるということについての、連続ツイートでした。
posted at 05:18:57
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ネヴ(9)あとね、ネイティヴの人って、みんなどこか油断しているんだよ。そりゃそうだ。自分が子どもの頃から喋っている言葉を、世界中の人が必死に学んでくれるんだから。「ネイティヴ・ブラインドネス」がある。だから、繰り返しになるけど、別にネイティブが偉いわけではありません。
posted at 05:18:29
posted at 05:18:29
ネヴ(8)だから、私は、世の英語万能論者とは、少し違う視点から英語を見ているのかもしれない。「ヘイ、チェックイトアウト! ヒヤズレイテストニューズフロムハリウッド!」なんてバカなネイティブ外人が言うような、ああいう英語をやろうと言っているわけでは決してない。
posted at 05:17:02
posted at 05:17:02
ネヴ(7)「中身」を鍛えるという意味でも、英語力は欠かせない。科学論文がほとんど英語で書かれているのはもちろん、概念的な進化(とりわけネット関係)も英語でなされる。英語を空気のように吸っていないと、取り残される。繰り返すが、ネイティブが偉いわけではない。
posted at 05:15:21
posted at 05:15:21
ネヴ(6)英語を使えることと、中身の鍛錬は別である。学部生だった頃、英語はペラペラだが中身のない人を「air head」と言ってバカにしていた。中身も稠密に詰まっていて、英語を駆使できないと、人類文明の先端にいられない。繰り返すが、ネイティブが偉いわけではない。
posted at 05:14:07
posted at 05:14:07
ネヴ(5)私が英語による「直接性」の原理を主張しているのは、別に英語が偉いからでも、ネイティヴが偉いからでもなく、世界のcreative classの共通言語が英語だからそうするしか仕方がないから。文化の最先端がそこにある。だったら、ぐずぐず言わず飛び込むしかない。
posted at 05:12:07
posted at 05:12:07
ネヴ(4)コンラッドやナボコフのように、英語を母語とはしない人が英語で作品を書く「亡命作家」のケースがある。彼らの英語は「ネイティヴ」の英語とは少し違うけれども、独自の読み味がある。それはそれで素晴らしいのであって、日本人がそれを目指してもいいのである。
posted at 05:10:26
posted at 05:10:26
ネヴ(3)「ネイティヴの方が正しい」というのは殆どトートロジーのようなもので、まあたいていの場合そうなんだろうけど、だからと言って大したことではない。英語を学ぶというと、ネイティヴの方が偉そうだけど、別にそんなに偉いわけではない。ぼくは以前からそう思っている。
posted at 05:07:53
posted at 05:07:53
ネヴ(2)駒場の2年だった時に、英語のゲイター先生と激論になったことがあった。「ぼくはこの表現がいいと思う」と言ったら、ゲイター先生が「こっちの方がいい」と言う。譲らずにばあばあ言っていたら、最後にゲイター先生が「ぼくはネイティヴだから正しいのだ!」と言った。
posted at 05:06:00
posted at 05:06:00
ネヴ(1)ぼくは「ネイティヴ」という言葉が嫌いだ。「ネイティヴ」チェックという言葉を聞くと、「ざけんじゃねえ」と思う。たかが、母語が英語だからと言って、なんで威張ってやがるんだよ、と思う。英語をやるのは必要だけど、別に英語にひれ伏しているわけではないのです。
posted at 05:04:36
posted at 05:04:36
昨日の英語能力についてのツイートについて、いろいろ反響をいただきありがとうございました。本日も、それに関連する連続ツイートをさせていただきます。
posted at 05:03:29
posted at 05:03:29
しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!
posted at 04:33:25
posted at 04:33:25
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