2011-11-14

英語教育改善案

1975年、雑誌「諸君!」誌上で繰り広げられた論争において、渡部教授の代案のキモになる箇所を長くなりますが引用します。
教室で立派に出来ることの第一は基本的な文法を叩きこむことである。そのうち特に重要なのは八品詞と基本文型である。八品詞というのは学校文典の悪しき標本みたいなものに仕立てられている傾向があるがそんなことは絶対にない。西洋の品詞はプラトンの二品詞からはじまって、次第に増えたり削られたりしながら中世のラテン文法において完全に確立したもので、出るべき反論、考えられる議論はほぼで尽くし、そしてそこに落ち着いたので、学者の気まぐれな要素はすっかり排除されているのだ。だからこそゲルマン人やスラブ人もふくめて、ヨーロッパ中の学生がラテン語で学習し、物をかけるようになったのである。
英文法が最初に出たのは宗教改革後の土着語独立思想によるもので、1586年のことである。フランスやドイツや北欧などもほぼ同じことであった。いずれもラテン文典を下敷にしているから脊椎動物の解剖学的比較のようなもので、各国の文法とも骨格部はほぼ同じになっている。17世紀の半ば頃までに、英文法がいかに新しく工夫されたかの詳細な検討をしたのが私の学位論文であった。今から16,7年前ドイツで出版されたものであるが、その論点は学界において今日なおそっくり有効である。 つまりいろいろ新アイデアを入れてみたが、骨格部分は中世のラテン文典と同じということである。
その後、私は更に19世紀初頭までの英文法を詳しく検討してきた。それは今年の秋に大修館からでる予定で、今そのゲラを見ているところであるが、いわゆる学校文典は、ありとあらゆる試みの結果そこに落ち着いたので、これを変えたらもっと別のより大きいマイナスが出てくるようなものであることを私はこの本の中で十分に証明したと信じている。私事になるが17,8年前、構造言語学が学界で支配的な力をふるい、八品詞(冠詞を別に数えて九品詞としてもよい)の解体がなされていた頃、その試みが失敗に終わるであろうと予言した(当時、そのような意見を公表していた日本の英語学者・言語学者がいたことを寡聞にして知らない)。果たせるかなその後に現れた変形文法は品詞はそのままである。
現在、言語学は花ざかりの森であり、正説奇説、その数を知らない。しかし印欧語を効果的に教える方法は、今まで伝統文法以外にはない、という厳たる事実、しかもそれほど知られていない事実を英語教師は立脚点としなければならない。いろいろな新しい言語学の研究を知るのもよいだろう。しかしそれはすでに意味がわかっている文章の新しい説明法なのであって、どう訳すかまだわからない文章を読みほぐすにはほとんど役に立たない。未知の文章を読みほぐす訓練には伝統文典に匹敵するものはまだ存在せず、これから生ずる可能性もあまりないと言ってよかろう。初等の英語の授業で、文法の抹消的・瑣末的部分にはまりこむのは賢明でない。しかしたとえば関係代名詞のようなものを、伝統文法を使わずに中学生に効果的に教える方法などありはしないのだ、と悟って、自信をもって、明快に説明すべきである。もし教師側が、伝統文法をマスターし、瑣末主義におちいることのないように気を付けながら、英文法の骨格を、自信をもって、繰り返し、適例を示しつつ教えるならば、相当部分の生徒はこれを理解する。そして知的に啓(ひら)かれる。
ある有名な心理学者の推定によると、日本人で英文法の概略を把握するには120の知能指数を要するだろう、とのことである。おそらくそんなものかも知れぬ。しかしそこで断じて見落としてはいけないのは、教師に相当の学力と自信があり、生徒側に多少の向上心と努力があるかぎり、伝統文法はマスターしうるということである。そこが正に伝統文法の伝統的なところで、二千年以上の歴史があるだけに、普通の人間の普通の努力でわかるようになっているのだ。それは珍説でも奇説でも、煩瑣な議論でもない。千数百年前のゲルマン人の酋長の息子ぐらいの知能があれば、誰にだってわかるのだ。そして普通の日本の生徒でも、熱心に伝統文法をマスターしようとしているうちに、知能の方も伸びて、それこそ120ぐらいになるのではないかと思われる。少なくとも私の体験から言うと、英文法をこね廻しているうちに知能が啓けてきた、という実感を持つ。英語の文脈を文法的に追って意味を捉えようとしているうちに、代数までわかるようになった。後年、ドイツの代表的言語学者レオ・ヴァイスゲルバー教授と話をする機会があった時、教授は、言語と数学は同じ根から生じたものであると言われたが、これは私(渡部)の体験からして納得できた。英語教師はー繰り返して言うがー自信を持って生徒に文法をこね廻させてよいのである。そして教師がこの面での学力と自信を欠けば、それこそ禍(わざわい)なるかな、である。(『英語教育大論争』平泉渉+渡部昇一 文春文庫 174頁、今年=1975年)

1 comment:

Anonymous said...

で、英語喋れるのかな、、、?

KAZ