2013-06-15

力石徹のテーマ

力石徹のテーマ  [あしたのジョー(ED)]
作詞:寺山修司 作曲:八木正夫
[00:00]歌:ヒデ夕樹
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[00:13]行け 荒野を おいらボクサー
[00:20]夕日がギラギラ 男の夢は 
[00:29]泣け 明日は 今日は狼
[00:37]自分の傷は自分でなめろ
[00:45]みんなはこの俺を情無用と言う
[00:50]月に吠えて一人
[00:54]親なし宿なしの
[00:56]名もないボクサーは
[00:58]鎖を噛みきった
[01:02]行け 荒野を おいらボクサー
[01:10]朝日が登るよ 男の胸に
[01:19]
[01:56]書け 名前を とおる りきいし
[02:05]流れる雲においらの指で
[02:13]聞け ブルース 一人歌うよ
[02:22]涙は誰にも見せてはならぬ
[02:30]どこかで燃えている
[02:33]めくらの星一つ
[02:35]たたき落とせパンチ
[02:39]親なし宿なしの
[02:41]名もないボクサーは
[02:44]鎖を噛みきった
[02:47]行け 荒野を おいらボクサー
[02:56]朝日が登るよ 男の胸に
[03:07]
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(created by みゅう)

2013-06-12

キレ気味の店員さん


お父さんが外人でお母さんが日本人の家庭ですかね。英語も日本語もペラペラですね!かわいい。

2013-06-10

みかん星人さん連続ツイート

  • さて、お待たせしておりました。今夜はようやく少し落ち着きましたから、お約束しておりました通り、私が2009年3月に315点だったリスニングを、2009年7月に440点に上げるまでにしてきたことをつぶやいてみたいと思います。 posted at 22:20:55
  • まず、前提条件というか当時の私のバックグラウンドから紹介します。TOEIC初受験だった2008年11月はリスニング370点でした。それが、それなりの準備をして迎えたつもりだった2009年3月に、まさかの315点。まさに大惨敗(苦笑)。 posted at 22:23:15
  • 初受験時にやったことといえば、1週間前くらいから「直前の技術」をやったことくらいで、模試は解いたこともなく、ほとんどぶっつけ本番という感じでした。それでも「塗り絵」をせずに済んだのは僥倖でしたが、同時に受験後テスト慣れの必要性を強く感じたというのが本音でした。 posted at 22:25:11
  • で、初受験から4ヶ月後の2009年3月に照準を合わせ(当時は毎回受験などという考えは、これっぽっちもありませんでしたw)、「リスニングBOX」「リーディングBOX」を解き、テスト慣れも含め、本人は周到な準備をしたつもりでいました(笑)。 posted at 22:27:34
  • そうそう、受験を始めたキッカケですが、当時は英会話メインというか英会話しかやってなかったのです。それが、職場から海外研修に応募し、合格するために客観的英語力の証明としてTOEICを利用しようと考えたのです。今思えば短絡的ですが、当時は大真面目でした。 posted at 22:30:25
  • イタイタしいわかってないっぷりついでに言いますと、当時はTOEIC受験について聞かれると、「受験をやめるために受験をしている。」なんてキザなことを言ったりしてました(笑)。TOEICなんて別に興味もなかったし、860点を取って、一刻も早く卒業したかったのです(笑)。 posted at 22:32:42
  • さて、少々お話があぜ道に逸れてしまいましたね(笑)。 で、周到に準備をし(たつもり)て臨んだ公開テストでしたが、当日は終了後ため息しか出ませんでした。とにかく、読み上げスピードについていけない。先読みが間に合わない。ただボンヤリ聴いて耳が拾った単語を元に推測で答えるだけ。 posted at 22:35:31
  • どうでしょう、心当たりがある方がいらっしゃるでしょうか?しかし、当時そのように感じたとノートに書き留めています(苦笑)。なお、リスニングのAMですが、2008年11月が 71/86/83/79 で370点。2009年3月が 72/63/77/64 で315点でした。 posted at 22:39:10
  • 全体的に下がっているのは一目瞭然ですが、もう少し詳しく見ると、私が一番重視するひとつである2番目の項目が、壊滅的なほど下がっているのがわかります。これの意味することは、パート3と4において、スクリプト全体への把握が出来ていないこと。つまり、受験後の実感と一致しています。 posted at 22:41:30
  • 課題はハッキリしていました。つまり、「スピード負けしないこと」「先読みのリズムを崩さないこと」「テスト慣れすること」でした。特に1番ですね。当時演習に使用していた「リスニングBOX」ですが、おそらく本番より読み上げスピードがほんの少し遅いはずです。 posted at 22:45:28
  • それが大惨敗の最大の原因だと、当時は感じていました。ハッキリ言って、当時はリスニングで400点を取れるイメージが“まったく”描けないでいました(苦笑)。もうね、絶望感でいっぱいです。 ただ、今冷静に見れば、その前のテストが370点を取っていたわけです。 posted at 22:47:50
  • 驚きの大幅ダウンに見えますが、おそらく当時の実力自体がリスニングは350点前後だったのではないかと見ています。その当時、私にとって幸いだったのは語彙力はDUO3.0を完成さえていた関係で、TOEICでそれほど困らなかったこと。そして、中学校までの文法はほぼ完ぺきだったのです。 posted at 22:51:03
  • ですから、少なくともTOEICのリスニングにおいて、文法や語彙が障害となるケースはそれほど多くなかったと記憶しています。その点をハッキリ述べておかないと、ミスリードに繋がってはいけませんからね。そこだけはきっちりしておきますね。 posted at 22:53:57
  • そして、まがいなりにも英会話でネイティブの先生が話すことを聴き取っていたのですから、聴いて理解するということが、高いレベルとは言い難かったものの出来ていたと思います。ただ、英会話の聴き方というのは、前後関係や文脈からボンヤリと意味を掬い取って聴くようなやり方だったのですね。 posted at 22:57:09
  • つまり、TOEICのようにインテンスな聴き取り、焦点を絞って聴くという聴き方と大きく乖離があったと考えられます。 ともあれ、そんな絶望の淵から、まずはスピード負けしないことだけを念頭に、スピードが速いと評判の教材を購入しました。 posted at 22:59:52
  • アルクの『AFNニュースフラッシュ 2009年度版』がそれになります。 ね、TOEICと関係ないでしょ(苦笑)。 ともかく、通勤の行き帰り電車の中では、ず~~~っとこればかり繰り返しました。2009年4月から6月までの3ヶ月間は、ひたすらそれ(笑)。 posted at 23:02:34
  • もちろん(?)音読なんてやってません(苦笑)。ただひたすら聴くだけ。ただし、聞き流しても効果がないのはわかっていたので、頭の中で文字をタイピング、つまり脳内シャドウイングとでも言うべきことを、出来る限りやっていました。でもね、元々苦手でしたから、なかなかでしたよ(苦笑)。 posted at 23:04:47
  • スクリプトをチェックして、文字の通りに聴き取れないところは、黄色の蛍光マーカーでハイライト。そこを繰り返し聴く。どうしても文字に置き換わらなければ、“英語ではこの文字の並びは、こう発音するものだ”と丸まま理解して、次へ。これにより「音と文字」の結び付けがなされたのです。 posted at 23:07:05
  • もうひとつの前提条件である「文字と意味」の結び付けについては、前述のDUO3.0をやっていたことにより、それなりに出来ていました。そして、DUO3.0はおそらくその先の「音と意味」の結び付けにおいても、接着剤のような役割を果たしてくれていたのだと考えています。 posted at 23:09:50
  • そして、「AFN」に戻りますが、わからない単語やフレーズ、言い回しなどは当然調べて覚えるとして、スクリプトを日本語で読み、英文を聴きながら日本語を追いかけるということを繰り返しました。これが「音と意味」の結び付けです。当時の私はそんな理論なんて知りませんでした。 posted at 23:14:38
  • ですから、これは偶然の産物であり、必死さが必要なトレーニングを有意に選択したのかもしれません。ともあれ、今振り返ると音読こそやっていないものの、英文を聴いて理解するために必要なプロセスを全て行っていたことになります。 posted at 23:16:21
  • そして、最後の1ヶ月。厳密には1ヶ月ありませんでしたが、7月に入ってからは「リスニングBOX」を繰り返し“1.1倍速”で。慣れてからは“1.2倍速”で、これまた繰り返し聴きました。並行して、先読みの訓練のために、問題も繰り返し解きました。ちなみに、当時は公式問題集は未購入でした。 posted at 23:19:56
  • 「リスニングBOX」「リーディングBOX」に加えて、「新TOEICテスト「直前」模試3回分」を仕上げました。ここで出会った「3回チャレンジ法」とこんなに長い付き合いになろうとは、当時夢にも思っていませんでした。結局、両BOXを「3回チャレンジ法」で仕上げるには至りませんでしたが。 posted at 23:25:38
  • ともあれ、そんなこんなで、運命の2009年7月の公開テスト。終わっての感想は「とにかく現時点の自分の全てを出した。」というものでした。少しだけ「人事を尽くして天命を待つ」の域だったでしょうか。 posted at 23:30:29
  • そして運命の結果発表、L:440 / R:380で820点! 初の800点超え、そしてリスニングは大躍進という結果となったわけです。ちなみにリスニングのAMは 84/85/90/80と一気にバランスも良くなったのです。 posted at 23:33:37
  • これは嬉しかったですね。もちろん100%の満足というわけではありませんでしたが、課題を克服して、学習効果を狙い通りに上げてのスコアでしたから。この時の喜びは、かつて900点を超えた時よりも上だったかもしれません。900点超えの時は、ホッとしたというのが正直なとこでしたから(笑)。 posted at 23:35:23
  • さて、私のリスニング315点から440点へのチャレンジの物語は、これでお終いです。長々とツイートにお付き合い下さいまして、ありがとうございました。このつぶやきがリスニングで光が見えないという方への、なにかのヒントになることを願ってやみません。皆さんのスコアアップを祈っています。 posted at 23:37:46

2013-06-02

今こそ挫折の歴史に学べ

日本人は明治時代から始めていた


今こそ挫折の歴史に学べ

私が反対する理由は、導入したほうがいいという流れの裏に、
いろいろな思惑や間違った前提が渦巻いているからです。子どものための教育という
一番の目的がないがしろにされている。このままでは、混乱をきたすのは目に見えています

斎藤兆史/東京大学大学院総合文化研究科助教授

 まだ決定したわけではない


―今年の三月、文部科学省・中央教育審議会(以下、中教審)の外国語専門部会が、「全国の公立小学校における英語の必修化」を提言しました。同部会の提言によると「コミュニケーション能力の育成を目的として、小学校五、六年生に週一時間程度の英語教育を受けさせる」とのことです。必修化には、かねてから反対意見が強いにもかかわらず、こうした提言を行ったことについて、どのようにお考えになりますか。

斎藤 まず、あらためて確認しておきたいのは、この提言は中教審が報告したものではなくて、中教審の下にいくつか設けられた部会のひとつがまとめて報告したものであるということです。ですから、中教審の提言ではないのです。そうすると、今後さまざまな部会の意見を総合的に判断して、中教審が別の方向性を示すことも考えられます。この点を誤解されている方もいらっしゃるようです。
 中教審の外国語専門部会は、かなり偏った意見を持っているところなので、そういう提言が出てくるだろうことは、当然予想されていたことです。意外でもなんでもありません。外国論専門部会は、ほとんどが「必修化推進派」で構成されているのですから。構成委員の多くは、早期英語教育やコミュニケーション中心主義の言語教育に携わってきた人たちです。なかには、民間の小学校英語指導者認定団体の認定委員を務めている人もいます。

―必修化される英語教育は、「成績をつけない道徳のような形で位置付けることも検討」とされ、教科化はしない考えもあるようです。

斎藤 私は、外国語専門部会の議論のなかで、いずれ教科化の話が出てくるのではないかと恐れていました。しかし、今回の提言を見ますと、小学校五、六年生の必修化というのは、以前に比べて推進派の方々の姿勢が慎重になってきていると感じました。今後中教審における議論しだいでは、必修化の話はなくなる可能性もあります。
 ましてや現在は、子どもたちの国語力の低下が深刻で、論理的思考能力が弱くなっているという調査結果もあります。
 そうした子どもたちの学力の現状をふまえて、外国語専門部会とは別の中教審の部会が、国語教育の充実を検討している。そういう議論や意見を総合的に判断して、中教審が、いまは英語どころではないという判断を下す可能性は大いにあります。

 私が反対する理由


―斎藤先生は、「小学校で英語を学ぶ必要はない」というご意見ですね。反対される理由を教えてください。

斎藤 私が反対しているのは、小学校で英語教育を導入したほうがいいという流れの裏には、いろいろな思惑とか間違った前提が渦巻いているからです。「小学校から習えば、英語力が伸びる」「英語は必ずしも伸びるとは限らないが、英語嫌いをつくらない」「異文化理解ができるようになる」などと、いろいろなことを言う人がいます。過熱した英語ブームに乗って産業として利用しようとする人もいる。子どものための教育という一番の目的がないがしろにされている。このまま導入されれば、教育現場だけではなく、子どもたちも混乱するのは目に見えているわけです。
 小学校での英語の必修化というのは、「日本人の英語がうまくならない。文部科学省は何か策を講じるべきだ」と、文科省が方々から責め立てられて、最後の切り札として踏み切った施策です。こうした安定していない状況下で実施したとしても、成果は上がりません。
 このまま実施すると、子どもたちの英語だけではなく言語感覚までもひどいことになってしまうでしょう。導入後、それが実際に明らかになってくるでしょうが、一度始まった政策は止まりません。「ゆとり教育」だって、これだけ失敗だと言われていても、文科省はまだ失敗を認めようとしない。何とか修正しつつ推進しようどしている。
 おそらく、小学校に英語教育が導入されてしまったら、「ゆとり教育」の弊害も一気に噴き出すと思います。それをなんとか帳尻を合わせて成果を上げようと、文科省は策を講じるでじよう。五。六年生だけの必修化では目に見える効果が出ないとなると、学年を引き下げたり、時問数を増やすなどしてみたり、別の科目の時問数を減らしたり……。とにかく他科目はさておき小学校英語の必修化という決まった政策を成功させるために議論を展開しようとするでしょう。
 つまり、英語教育という目先のことばかりにとらわれて、ほかの教育がないがしろになるというのが、一番懸念されるところです。なにより、一番犠牲になるのは子どもたちですから、それをなんとか食い止めたい。

―行政側のしていることは、子どもたちのためというより、政策重視というわけですね。

斎藤 それが許せない。子どもたちのことを考えたら、先に踏まえるべき段階があると思います。

―今回の議論は、あくまで公立小学校における議論であって、私立ですと、以前からかなり積極的に行っ。ているところもあるようです。私立において、目立った成果があるものでしょうか。

斎藤 日本における小学校英語教育というのは。明治時代から行われているのです。この事実を知らない方が多いのでしょうか。昔から試行錯誤を繰り返してきた小学校英語教育の効果が本当にあったのかどうか検証もせずに、ただ「日本人の英語力が低い、だから小学校から取り入れるべきだ」「他のアジア諸国も取り入れているのだから、日本人の英語力も伸びるだろう」と、非常に短絡的な発想で議論している。その教育効果が確認されていないのに、小学校から英語を学べばうまくなるという前提を立てるのは、まったく無責任な話だと思います。しかも、私立でかなり力を入れている学校でもいはっきりした効果は確認されていないのです。
 学習院の試行錯誤の仕方が非常にいい事例です。明治十五(一八八二)年から学習院の小学科・初等学科では英語を何度も導入したり廃止したりしています。明治二十三(一八九〇)年に一回英語教育が打ち切られるわけです。なぜ止めたのか、当時の文書がありますので、ご紹介しましよう。
 初等学科に外国語を置くも、畢竟時間を徒費するに過ぎずして其の効極めて少なきは数年来の経験に徴して明なりとす。然るに説を為すものあり。曰く、外国語は幼時より始むるを良とす、何となれば児童は不知不識外国語の口調等に慣るるを以て、労少く得る所大なりと。此の言非なり。(「学制取調理由書」)
こうした理由で、学習院では一旦廃止するわけです。もちろん、この後また導入しなおし、明治四十年には、毎週三時間英語を学習することにします。その五年後には「国語などの教課がその犠牡になっており、その割には得るところが少ない」という理山で、再び廃止になりました。つまり、「効果がない」ということは明らかに言われている一方で、「効果がある」とはどこにも書かれていない。「OO小学校を出たから、Aさんは英語ができるね」なんて話は聞いたことがないでしょう。
 だから、小学校で週一時間習っただけで英語がうまくなるだろうというのは、まったくナンセンスな議論。その週一時間の授業の影響がないなら問題はないのですが、きちんと日本語で行われる科目が減るから困るのです。

 阻止するなら、今だ


―しかし、これだけ英語教育への熱が高まっているなかで、行政側も教育現場も小学校英語の必修化はしない、という決断をするのは難しいのではないですか。

斎藤 かなり強硬な反対意見にあって論調が弱まっ。てきたところを見ると、私は必修化しない方向に変換するのではないか、と期待しています。
 何よりも重要なのは、必修化を止められるかどうかということより、行く先によくないことが起こると予測されるのであれば、それを阻止しようと最大限努力しなくてはならないということです。それが学問の良識であり、学者としての使命だ之思うからです。何か悪い事態が起こると、後から「自分は以前からこうなると思っていた」と言う人がいますが、「このままでは悪い結果を招く」と感じたら、その場で声を上げないといけません。その勇気を持つべきだと思います。
 興味深いことに、反対派の多くは、第一線で活躍されている著名な外国語の専門家たちです。ほかにもきっと、「潜在的な反対派」である専門家の方々もいると思います。しかし、なかなか声を上げようとしない。一方、推進派の方々は大勢のように思えますが、実はごく一部。その限られた人数の人たちが、大衆の意見に後押しされて勢いがよく見えるというのが、私の印象です。それに加えて、「すぐに話せるようになる英語を教えろ!」と言われるものだから、文科省もその圧力に屈してしまっているのでしょうね。
 必修化は、今しか阻止できない、という意見も聞かれます。それは、きっと中教審の最終的な決定が出て、学習指導要領に載せられてしまうと、なかなか軌道修正ができなくなるという意味でしょう。一度、学習指導要領に入れられてしまうと、文科省もなんとか帳尻を合わせようとしますから。九四年から学習指導要領に導入された英語の「オ上ブルーコミュニケーション中心主義」も、二〇〇三年になるまでなかなか修正しようとしませんでした。しかも。投入された費用が莫大な金額です。「オーラルーコミュニケーション」に重点を置い。た英語教育の例を挙げて説明しましょう。
 立教大学教授の鳥飼玖美子さんの著作『危うし!小学校英語』によると、二〇〇六年に始まった大学入試センター試験のリスニングーテスト用に配られた使い捨てのICプレーヤーにかけられた費用は、一六億円! 騒音対策のためとはいえ、大変な金額です。この例からもわかるように、小学校英語必修化のための予算もかなりの額に上るだろうことは予測できます。

―それだけの予算を投入してまで英語でのコミュニケーションに固執する理由が不透明です。教育関係者の議論もそうですが、英語教育に対する親たちの熱の入れ方にも、異常なものを感じます。学校への期待も過剰ですね。

斎藤 英語に対して理解がなさすぎる、と言えるかもしれません。語学というものを甘く見過ぎていると思います。親たちのこの過熱振りは、”ルサンチマン”という言葉で説明する人が多いのですが、「白分たちはうまく英語を話すことができなかった、これは中学校・高校と文法や読解ばかりやらされていたのが悪かったんだ」という恨みつらみがあって、それでは小学校からコーミュニケーション中心の教育方法に変えれば、うまくなるだろうという発想からでしょう。ありもしないものを、無理やり良い前提としてこじつけているとしか思えない。

  エリートを犠牲にしていいのか


―「オーラルーコミュニケーション中心主義」に基づいて英語教育が行われていた時代は結局、間違っていても通じればいい、という考えが強調されていったという話もあります。授業中、いい加減な発音が容認され、文法や読解がなおざりにされてしまった。その結果、学生たちの英語力に影響は出ているのでしょうか。

斎藤 大いに出ています。そのせいで、日本人の英語力は落ちていると言えるでしょう。学生たちを見ていても感じることがあります。単純な文法の間違いなどが以前の学生と比べてよく見られるようになりました。
 コミュニケーション中心主義というのは、とても安直な達成感は得られます。度胸で何とか相手と話ができるわけですから。でも、そのやI方をしてしまうと、ある一定のレベルまでいくと語学力が頭打ちになってしまう。なんの稽古事をそうですが、きちんとした基礎の土台の上でなければ、その先の知識や技が積み重ねられない。
 明治時代などは、一部のエリートたちがきちんとした英語を使うことができればよかった。ところが、教育の大衆化との関係で、今はみんなが英語を使いたがるようになりました。そうして、みんなに合わせた教育の仕方が求められるようになった。徹底的に努力はしたくないけれど、そこそこ話ができればいい、という大衆の願望を満足させるには、とにかく話して通じるという達成感を与えるしかない。そうして、現状のようになってしまった。しかし、こうしたやり方では、きちんとした英語の使い手は育ちません。

―担任の教師のサポート役であるアシスタントランゲージーティーチヤー(外務省が募集・選考し文部科学省の研修を受けた外国語指導助手のこと。以下、ALT)の数も。現在では全国の公立小学校二万三〇〇〇校に対して一二〇名ほどしかいないそうです。今後はさらに増やすそうですが、この数からしても導入する以前に解決すべき課題の多さが垣間見えてきます。

斎藤 数も問題ですが、ALTの質も問題です。優秀で熱心な先生もいるでしょうが、全国レベルで質を均一にすることができるのでしょうか。英語教育の訓練をきちんと受けていない先生が教える場合も考えられますので、教師の質が悪けれぱ、かえって毒になる。初めに間違った型を覚えてしまうと、矯正するのに苦労するからです。
 骨董品の鑑定士に讐えますと、骨荒品の鑑定士を育てるには、初めの数年問、木物しか見せない。そうすると、本物の質感がわかってくるので、偽物も見分けられるようになるのです。初めから偽物と本物を見比べさせたりすると、混乱してしまうらしい。道に迷うと何度も同じ道に行ってしまうことがありますよね? これと同じことで、間違った情報が意識化されてしまうと、常にそこで蹟くことになります。英語も同じで、間違った発音、間違った文法を覚えてしまうと、咄嵯に正確な答えが見つけられなくなる。
 子どもが楽しければいい、子どもが明るくなるからと、先生が子どもにゲームなんかをさせたりするのは、一時期は楽しいかもしれないけれども、長い目で見ると子どもの語学力の向上には役に立たないと思います。
 こうして批判していますと、「みんな一所懸命子どもに教えているのだから、現場を見ずに批判ぱか昨丿するな」と言われることがあります。しかし、これは見たことがあるとかないとかの話ではない。ネイティブースピーカーを含め、教師がきちんと養成され、高い質を保つ教育がなされているという前提すらあやしい以上、現場を見る見ないの議論以前の問題です。

 商業的利益が優先される


―数多くの英語教材が発売されています。なかには高額なものも見られます。小学校での必修化が決まったように宣伝している商品もありますね。

斎藤 これは悪循環で、教材を作る側は必修化を見込んでブいろいろな商品を新たに作―宣伝まで始めたのだから、絶対必修化してもらわないと困るのです。また、現在のように大学が危機的状況ですと、英語を大学経営改善の手段として使うところが多いのです。
 例えば、公立の小学校で英語が必修化されそうだとなると、大学が「小学校英語指導者養成科」などと銘打ってクラスを作ってしまう。一度学科が設立されてしまうと小学校で英語が必修化されないと困る。しそういう非常にゆがんだ形で必修化へ向けての動きが始まっているのです。
 それに英語に関して、各人の求めるレベルが違います。レベルの多様性を否定するつもりはありませんが、日本人全員が国際人になるべきだ、と言って小学校英語を始めたって、できるはずがありません。国民のバイリンガル教育で成功した国もないのです。
 結局、”つちのこ”と同じ。絶対見つかる、という期待を何かにかけてしまう。日本における英語教育の長い歴史のなかで、何が成功して何がしていないかなどということはわかっています。。しかし、多くの人はそれを勉強していないので、知らないのです。
 統計や疑似科学的なデータを分析して、「○○のような教授法がいい」などと言う人もいます。そういう人たちに私は、「そんなもの、。昔から日本にありました」と言いたい。‐明治時代と今とは事情が違っていますから一律に同じとは言えませんが、日本人にどの程度の英語を教えれば、どのくらいは話せるようになるのかなどについては、今より信憑性のあるデータがいくらもあるわけです。それを調べずに危うい政策を推し進めたら、いったいどうなるか……。
 よく日本人は英語ができないと言われますが、きちんとした英語を使うべき立場の人たちの英語は、世界のトップレベルと比較しても、そんなに遜色のあるものではありません。それに、日本人は英語ができないと言っても、どのレベルの日本人なのかが、まず疑問。しかも、何処と比べているのか。
 イギリスの植民地であった国の人々などは当然のごとくうまいでしょう。でも、それは英語を強制されて自国の文化や言語を失ってしまったということでもあります。カリブ海に浮かふ小国、トリニダードートバゴなどは、十九世紀にイギリスの植民地となり、一九六二年まで支配されて。いました。トリニダードートバゴ出身のノーベル賞作家、v・s・ナイポールが「イギリスの英語なんて腐っている」と書いていましたが、かつての宗主国に対ずる不満を表現しようとしても、英語でしかできない。
 植民地化されたアフリカのエリートたちも、そう。もはや英語など自国の言葉ではない言語で考えるようになってしまった。そうした挙げ句、彼らは、どうしたか――。
 「われわれが使っている英語は、イギリス人やアメリカ人の言語ではなくて、私たちのものだ!」などと言い始めたのです。こうして「世界には多様な英語がある」という意味で "World Englishes"「世界英語」などという表現まで出始めましたが、これは、旧植民地の人たちの恨みつらみがこもった概念なのです。
 こうした歴史的背景を知らない日本の人たちが、今は英語が多様化しているのだから、「日本英語」があってもいいんじゃないか、と言う。。″日本英語”なんていうものは存在しません。それはただ、ブロークンの英語でいいから勇気を持って話しましょうと言っているに等しい。まるで議論のレベルが違うのです。

 比較対象を正確に把握せよ


―アジアの他の国々との比較はいかがでしょうか。中国や韓国は、かなり積極的に取り組んでいるようです。

斎藤 以前は、他のアジア諸国と比較して、日本人は読解と文法はかなりレベルが高かった。ところが、現在は追い越されてしまいました。鳥飼玖美子さんによると、TOEFLの全受験生の平均点数を下げているのは、日本の大学生と高校生だそうです。
 中国、韓国の学生たちときちんと比較するのも難しいですが、早期から始めたかどうかではなく、もし低いとすれば、日本人のほうが勉強熱心ではないからでしょう。中国や韓国の学生たちの熱心さには驚かされます。
 それに、かなり極端な例だからニュースになるのでしょうが、韓国では英語の発音をよくするために、子どもに舌の手術まで受けさせるという話もありました。ロ本の過熱振昨丿など、まだ冷静なほうなのでしょう。
 北欧の人たちと比較する人もいます。これも議論になりません。日本語に比べれば、北欧の言葉は言語的にはるかに英語に近いから、うまいはずです。どの国のなにと比べているのかが重要になってきます。政策が始まるときには、きちんとした議論はなかなかできないものですけれども、英語がうまいとされる諸外国の歴史的背景や実情をきちんと把握しつつ繊細な議論を展開する必要があると思います。

―日本人が英語を話す国民になるというのは、理想に過ぎないのではないでしょうか。

斎藤 それは歴史的に見ても難しいのです。一番重要なことは、国益に適う英語を使える日本人が完璧な英語を話せるようにすることです。そうせずに、能力のある子どもたちまでもが、ブロークンーイングリッシュを当然のように教わり、ただ意昧もないことを話しているような状態では、「一億総崩れ」になるでしょう。
 これまでの「読み・書き」中心の英語教育は、役に立たないと言われてきたけれども、学校教育ってそんなものです。学校で習ったことをそのまま社会に出てすぐに生かせるなどということは、ほどんどないいと思います。堅固な基礎力を与えて、「あとはご自由にできますよ。うまくなるかならないかは、あなたの努力次第」ということ。そのなかで意欲のある人たちが、きちんとした英語を身に付けていく――そういう構図が、私は一番健全だと思います。
(「中央公論」2006年10月号 219ページ~227ページ)

「The Economistを読んでTOEICテストでぐんぐん得点アップする方法」第三弾

さあ、みんなの期待を大きく裏切ったところで、「The Economistを読んでTOEICテストでぐんぐん得点アップする方法」の第三弾いっちゃいますかね(←唐突w)。
posted at 23:55:50
もう、先週号になっちゃったけど、巻頭記事Leadersはオバマ政権の2期目についての話題だ。いきなり小見出しにdespiteがあるね。TOEIC頻出でin spite ofと同じ意味だけど、notwithstandingも覚えておこう。
posted at 23:58:11
declareはこれまでにもつぶやいたよね。第5文型を取るから、要注意だよ。 search forは他動詞ならTOEICではseekだよね。このforはlook forのforと同じだよ。 anticipateはexpectの堅い語だけど、後ろは-ingを取るから注意。
posted at 00:01:41
avoidも後ろは-ingを取るね。 involveも後ろに-ingを取る。この文法知識は選択肢にcontainがあるときの判断材料になる。これ、公開で出たから注意だよ。それにinvolveにはrequireの意味もある、覚えておこう。
posted at 00:04:58
single outこれは出てない。「選び出す」って意味だ。でも、いつか出てもおかしくないラインだと見る。 be subjected toはbe subject toでも一緒。ただし、両者ともtoは前置詞で後ろは名詞(句)だから、その点はチェック。
posted at 00:07:50
persuadeは後ろの形に注意だ。persuade ~ ofの形とpersuade ~ thatの形を取る。この形はremind、assure、inform、notifyとTOEICが大好きな形だよ(笑)。 achieveは先週もつぶやいたから省略(笑)。
posted at 00:11:09
keep one's eyes onはおそらく出ないと思うけど、このところの傾向を見てると、出ても文句は言えないと見ている。 depend onは頻出だけどdependの後ろはupon以外にforやagainstを取る可能性があることは覚えておこう。
posted at 00:15:53
leverageはこれまでなら、絶対に出ないと言い切っていたかもしれないけど、今は正直わからない。「てこ」のことで金融用語としてはメジャーだけどTOEICに出るなら「影響力」の意味だろう。 entitlementもentitleの頻出派生語だから覚えておこう。
posted at 00:18:01
both andも出てるね(笑)。昔は必ずこのシリーズの1つが入っていたもんだ。古き良き時代のお話し(笑)。 benefitは名詞だと「利益」のことだけどbenefitsになると「給付金」のこと。 自動詞だとfromと相性抜群だ。「利益を得る」って意味になる。
posted at 00:21:08
extendはこれまたよく出るよね。expandが広げるイメージなら、こちらは線を延ばすイメージだ。deadlineを延ばすのはよく発生するね(笑)。 a lotを主語で使ってるね(笑)。ここでは「運命」かな。この意味では出ないけど、lotみたいなのは辞書引くと楽しいよ。
posted at 00:25:56
agreeはwithとto、on、uponあたりは絶対に押さえておきたいね。againstも実は取れるから、これも押さえるかな(笑)。 complianceは大切だね。in compliance withは頻出だからね。
posted at 00:30:36
enourageは派生語も含めて頻出だから、ぜひ辞書を引いてみること。 marginalここでは、marginal ratesで出てるけど、marginal interestで押さえておきましょうか(笑)。
posted at 00:33:42
紹介するかどうか迷ったけど、一応載せようか。the lion's share of「~の一番大きい部分」っていう意味だ。まだ当分出ないだろうし、一生出ないかもしれない。でも、最近は本当に読めないから一般的知識として、みんなには知っておいて欲しい表現だよ。
posted at 00:35:42
utterは前ならギリギリ出ないラインだと判断しただろうけど、一応押さえておこう。「完全な、徹底的な」みたいな意味。 ideallyは文頭で文修飾が可能だ。かつて出たことがある。
posted at 00:39:46
おっと、仮定法未来かif S were toってやつ。TOEICに出る仮定法未来はShould you have any inquiryってやつ。If I were to look back,なんてのは出ない、、、んだろうね(笑)。 get rid ofはこれくらいは知っとこう。
posted at 00:41:25
proveはこれも第5文型を取るけど、これも後ろにthat節を取ったり、第4文型を取ったり、ともかく一度辞書を引いてみて欲しい。TOEICが狙うのはみんなが知っている、でも見落としがちな語法だから。
posted at 00:44:22
sustainableは時代が時代だけに押さえておこう。sustainable energyは記事で出ても文句言えないからね。 immensely popularはあまり見ないコロケーションだけど、このまま押さえておこう。
posted at 00:45:42
roughly halvedもコロケーションとしてあり得るのか。出そうにないけど、コロケーションの知識は多いほどいいからね。みんなのメモリートリガーになることを期待して挙げておくね。 urgentは出るね。先週も似たようなのつぶやいたよね。
posted at 00:47:58
otherwiseは重要。パート6頻出だからね。unlessとの相性抜群だから、unless otherwiseでひとつの形だよ。今回の公開でも難問として接続副詞の問題で出たらしいね。 cost effectivenessは、まぁ、TOEICの世界観に合いそうだね(笑)。
posted at 00:50:07
今週はこんなところかな。結構ボーダーラインの現状出ない側を、意図的に扱ってみました。一説にはblogという単語がは初出したみたいだし、絶対がない時代に突入した予感がしています。6月の公開テストまで、お互いに頑張って準備万全で受けましょう。ご覧いただきましてありがとうございました。
posted at 00:53:25

Masanao Yamada さんのツイート

RT @tone2m: 数学で「Xを~とする」は英語で let X be ~ で,これを仮定法現在という。Xが~であるというのは,過去の事実でも現在の状態でも未来の予定でもなくて,考えている人の頭の中にある仮定だよね。そういう場合を英語では仮定法と呼んで動詞を原形にする。つまり「これは現実じゃないよ」
posted at 08:23:19
RT @tone2m: っていうのがわかるようにする標識。数学以外でも,要求・提案・依頼・希望など,話し手の頭の中のことを表すときに仮定法現在を使う。TOEICのPart5で出るからね。
posted at 08:23:32
RT @tone2m: 前に勉強会やったとき「めっちゃ文法用語つかいますね」って言われた。英語の先生はあえてあまり文法用語を使わずに説明したりするのかもしれないけれど,自分は文法用語を使う。文法用語は概念およびそれを表す形式につけられた名称であり,人は物事に名前をつけることで,それを認識できるのだから。
posted at 08:23:46
RT @tone2m: たとえば仮定法現在という名称と概念を知らなければ,どういう場合に従属節の中で動詞を原形にするか,そしてそれがどういう意味かを判断することは,少なくとも自分にとっては困難。英語は「とにかく覚えろ」式に言われることが多いのだけれど,文法はその覚えることを減らす役割を果たしてくれる。
posted at 08:23:58
RT @tone2m: TOEIC Part1では,「写真に写っているものの名前」「動作」「位置関係」を表す表現を覚えれば95%とれる。残り5%が完了形受身 have been ~ed と進行形受身の being ~ed の聞き分け。
posted at 08:24:13
RT @tone2m: 「写真に写っているものの名前」は,以前にツイートしたように,Google画像検索がおすすめ。「動作」は「自分でやってみる」という覚え方がある。lean againstとかlean overなど,動作しながら何度かつぶやくと効果的。
posted at 08:24:28
RT @tone2m: customは最初「習慣」として覚えるかな。TOEICではcustomer(顧客)が頻出。いつも(習慣的に)買う人っていうことね。カスタマーサポートとか日本語でもでもおなじみだね。関連して be accustomed to (~に慣れている)も覚えよう。
posted at 08:25:02
RT @tone2m: customizeはカスタマイズってカタカナでも使われるから雰囲気わかるだろうけど,特注生産するっていう意味。顧客の要望に応じて作るわけだから。customsが「税関」の意味なのは戸惑うかも。これはイギリスで関税が王の慣習的歳入(=改定に議会の承認を要さない)ものだったためだよ。
posted at 08:25:15

2013-06-01

ベッカムはしゃべるのか?!

ベッカムが引退したそうですね(古い?)。ベッカムと言えば英語に関して こんな話題があります。

ツイッターにて
拙者が読んだというのがこの雑誌記事でした。「正論」2004年6月号

『愚の愚の愚 英語早期教育』と題された、おなじみの藤原教授と斎藤教授の対談記事です。



藤原 そういえば英国人の友達に、日本のテレビでサッカー選手のベッカムがしゃべってるって言ったら、びっくりされました。イギリスは階級社会で英語は階級を表わす指標だから、向こうではベッカムはほとんどしゃべらないそうです。

斎藤 ベッカムみたいのが日本の小学校で英語を教えて、その英語でイギリスに行ったらことごとく軽蔑されてしまう(笑)。
 私たちが大学で外国人を雇うときは、英語に関する学問を修めて博士号を持つ人の中から、さらに面接までして、しっかりした人を厳選して雇います。その彼らが言うには、街の英会話学校で雇われている人が必ずしもきちんとした英語を話すとは限らない。その辺を歩いているお兄ちゃんが日本語教師になったら、我々でも首を傾げますよね。

本国では、人前で喋れないベッカムみたいなんが日本で、そのはずかしい英語を教えるなんて、という論調のようですが、どうなんですかね。