2011-02-03

茂木健一郎&斎藤兆史

斎藤兆史先生と茂木健一郎さんの対談記事がCNN English Express に載るそうです。
対談を受けて茂木さんが連続Tweetされていましたのでまとめてみました。TOEICの前日でしたが俄然テンションが上がりました。

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英語(1)斎藤兆史さんの『英語達人列伝』は名著である。一読して魂が震えた。英語を習得するのに、外国に行く必要はない。ネイティヴが至上なのではない。国内にいながら、ネイティヴ以上の英語力を獲得した、日本の達人たちの物語!


英語(2)その斎藤さんに朝日出版社でお目にかかることができた。英語を上達させる方法はなんでしょう、と伺った。斎藤さんは言われた。いくつか説があります。多読、多聴を重視する「インプット」仮説。

英語(3)話す、書くを重視する「アウトプット」仮説。生のやりとりを重視する「インタラクション」仮説。どれが正しいのでしょう、と聞くと、斎藤さんは一言「根性が大切だ、という根性仮説でしょう」と言われた。

英語(4)英語の達人は、みな残らず尋常ならざる努力をしているのだという。新渡戸稲造は、札幌農学校の英書を全部読んだ。斎藤秀三郎は、ブリタニカ百科事典を2度通読した。精励あってこそ、ネイティヴをものとしない英語力ができあがる。

英語(5)斎藤兆史さんと話しているうちに、ああ英語の「奥の院」だと思った。英語を極めていったときに、やがて見えてくるもの。羽生善治さんの言われる、将棋の「神の領域」。ぼくがずっと求めていたのは、「奥の院」なのだと思った。

英語(6)現代の英語教育は、会話中心すぎると斎藤さんは言う。そこには「奥の院」はないのだろう。返す刀で、ぼくは反省した。認知神経科学における言語習得のパラダイムも、あまりにも表層に偏っていないか。

英語(7)感覚入力がある。運動出力がある。その間のcontingencyがある。身体性がかかわる。そこから言語が立ち上がる。そのスキームはいいとして、それでは、英語を極めていった時に見える「奥の院」は扱えない。

英語(8)学習モデルの不毛は、極限概念を欠いている点にある。数の習得をいくら認知科学しても、ポアンカレ予想を極めて森にキノコを採りに行くロシアの変人の精神性には、ついには接触できない。英語も同じである。

英語(9)ぼくにとって大切な英語の神さまは、極限にこそあり、垣間見える奥の院にこそある。それをこれまで通り大切にしていけばいいんだ。斎藤兆史さんとの対談でぼくは確信した。同時に、大学よ、実学を求める浅薄な世間に負けずに、がんばってくれよ、と思った。


以上、『英語達人列伝』の著者、斎藤兆史さんとの対談を受けての「英語」についての連続ツイートでした。対談の詳細は、朝日出版社のCNN English Expressに掲載されます。

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